5時30分から、中の町公民館にて、合同おはよう倫理塾が開催され、83名が参加しました。
日高二香会長は、前日のくくる糸満での沖縄県全役職者研修の感想を述べた後、開催中の「山城ウメト作品展」にも触れました。ウメトさんを「明朗の達人」と称え、「明朗が免疫力の最たるもの」と述べました。
実践報告は、諸見里支部のSさんが行いました。
入会の動機は、夫が飲酒運転で検挙され、職を失い、収入が途絶えるという苦難に落ち入った時、同級生のM夫妻の紹介で入会されました。
その後、おはよう倫理塾で、「ハイ」の実践をするも、夫の酒量は増えて、加えて、孫や子供の送迎で、忙しくしているうちに、腎臓の病気になってしまいました。
苦難が続く中、生活倫理相談を受け、心のこもった「ハイ」の実践等を行った結果、夫は施設でのリハビリに取り組むようになり、次男は青年部のチーフとして、砂漠の緑化活動等に積極的に参加する等、良いことが多く起きていますと報告しました。
講話は、生涯局の中村利律子講師が担当しました。
講師は、実践報告について、「ハイ」の当初の実践が、形だけのものになっていたことを反省し、心のこもった実践で、夫の酒量が減り、リハビリにも取り組むことに繋がっていった素晴らしい実践ですと述べました。
そして、「生活倫理相談を受けると、閃きも生まれてきます」とのアドバイスもありました。
その後、『13歳からの道徳教科書』という本から、ジャーナリストの草柳大蔵氏のエピソードを紹介されました。
ある国務大臣宅に伺った時、「家人が来るまでは、ソファーに座らない」という心得を教えて貰ったことが、その後の取材活動に大いに参考になったとのこと。
創始者丸山敏雄も、長崎女子師範学校首席教諭として栄転後、カトリックの生徒達の熱烈な信仰をどうして持てるのだろうか、という疑問を解決するため、退職して広島文理科大学に再入学する。それも、大きな出会いであり、創始者の運命を大きく変えました。
また、X JAPANのYOSHIKIについても触れ、彼が偉大なミュージシャンになったのも、人との出会いで運命が変わっていったという話でした。
最後に。自分自身のことを振り返り、会長時代は、一所懸命に『新世』頒布や普及の活動をしてきたが、最近は、余り出来ていないことを反省すると同時に、五月から『新世』頒布チ一ムを結成しようと準備している。一緒に普及をして行きましょうと熱く呼び掛けました。
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